ざざむし。





苦手な食べ物をどう克服したか

なにやら私はなんでも平気で口にできる極悪非道、時には味覚音痴などと思われていることもあるようです。
まぁ、どうでもいい他人になんと思われようと知ったこっちゃない訳ですが、中には苦手をどう克服したのか知りたいという方もいらっしゃいます。
実のところ程度こそ様々ですが私も苦手なものは普通にありましたし、偏見もあってなかなか口にしなかったものなども当然あるので、普通の皆さんとなんら変わらないと思っています。
克服の仕方については人それぞれなので万人向けでもありませんが、考え方の参考のひとつにしてもらえるなら書いてみてもいいかなと思いました。

具体的な例を書いていったほうがいいですね。

苦手克服の例 ①

納豆
初めて食べたのは小学生の時の給食でした。
実家は何故か納豆を食べない家庭だったのでメニューとして出たことがなかった。両親は食べたことがあったけどあまり印象よくなかったようなことを言っていた朧気な記憶しかないので、給食に出ると知った時になんとなくワクワクしていたのを思い出します。

当日、初めて食べた納豆はなんとも変な味。激マズとも思わないけど、なんでこれ食べてるんだろうという感じでした。やはり好き嫌いがある食品なので手を付けない子も多く、いらないと返されるものが続出。
見てて捨てられるのも勿体ない気がした自分含め数名が僕食べるよと引き受けて食べてたものの、想像以上に多くてウンザリでむしろ嫌いになった気がしました。
初めて納豆を食べて帰った自分は、べつに普通に食べられたよと親に報告。体にいいらしいということは親も知っているので、それ以降は家でも時々出るようになりました。正直、最初はそんなに美味いともなんとも思ってなかったのですが、時々食べるようになってから気付けば大好きになっていました。
思えば、自分が苦手であっても健康に良いという知識があり、押し付けでもなく受け入れ態勢を認識した時点で慣れる機会を与えてくれた親には感謝しています。「あんな臭いもの」なんて親が一蹴してしまえば子供も流される可能性がありますが、「苦手な人が多くても、健康に良いものだから食べられたら良いね、カッコイイね」というのを自然に促すことは幼少時代には大事かなと思う。その上で選ぶかどうかは人それぞれ。偽科学もいっぱいあるから。

苦手克服の例 ②

セミ
昆虫食については特に昔から平気だった訳ではありません。むしろ、今でも抵抗のあるものも多数あります。イナゴだけは近所のスーパーでも普通に売っている地域だったので平気でしたが、それ以外は全くありませんでしたので、イナゴの次に昆虫を食べたのは高校生の時のざざむし甘露煮です。
セミについてはそれこそいくらでも周囲にいましたし、何かの本で食べられることも知っていました。ファーブルさんも食べましたしね。しかし長く自分で食べる発想に至らなかったんですよ。
食べることを除けば様々な昆虫が好きだったので、セミは成虫も採るし羽化を見に未明に早起きしたりしていたもので、何年もかけて土中で成長してもこもこ這い出てきて成虫になる神秘を目にしていると、食べられると知っていながらもどうにも食べ物と認識できませんでした。
これが実際食べてみると、成虫はな~んかどこかで知ってる味なんですよね。
経験するのは幼虫のほうがだいぶ後になってしまったんですが、幼虫はもっと衝撃でした。
あんなに謎の敬遠してたのに、食べてみたら掌返しで食べ物認定。見る目が変わったというのはこういうのを言うんです。食わず嫌いは幼少の頃から嫌いでしたが、改めて食わず嫌いの愚かさを知りました。
「酸っぱい葡萄」よろしく人は食べられないと食べなくて良い理由を探してしまう。そんなことを実感させてくれたのがセミでした。

苦手克服の例 ③

セロリ
小学生の頃、便秘の薬のCMなどでうまそうにセロリを齧っているのを見る度に気になる野菜だったのですが当家では全く食卓に並ぶことがなかったので、ある日母にねだって買ってもらったのです。
当時はググることなどできない時代でしたから、まずはTVで見ていたように生で齧ってみました。
オエッ
独特の香りを体が全く受け付けず、喉を通りません。私の人生で最も手強い相手がここに生まれました。
パセリは平気で食べられるのに似た方向性の香りを持つセロリが全く無理なことに幼いながら全く理解できませんでした。近くの店で本を探し、薄く切って晒したものに胡椒を振って食べてみるも、やはりダメ。炒めてもダメ。なんか悔しかったけど意思に反して喉を逆流してしまうので本当にどうしようもなかった。
それから数年経ち、はっきり何歳か覚えてないが中学生になっていたかもしれない。
育ち盛りの男の子なので揚げ物にソースが大好きでした。でもいろんなソースがある中で全然うまくないソースも結構あって、次第にウチはこのソースってのがある程度絞られてきました。
ある日、ふとソースに貼られている原材料を見ると、あの体が受け付けなかったセロリが入ってるんですよ。店で見てみたら、うまくないので買わなくなったソースにはセロリが書かれてなかった。皆さんもご存じの通り、原材料名は使用量の多いものから順に書かれるので(現代はアレルゲンなら少量でも記載されるでしょうが)書かれているソースにはある程度の量が入っているのは明らかです。
「そっかー、あの風味が美味しさの秘密のひとつなのか。」
そう思ったらフライにソースをかける度にセロリの風味を思い出し、セロリのおかげなんだなぁと思うようになりました。
思いつつもしばらくセロリは食べてなかったのですが、ある日再びセロリを食べてみたらめっちゃ美味しく感じるようになっていて自分がいちばん驚いた。
あんなに体が受け付けなかったのに、今では株で買って1食で食べ尽くせるくらいに好きです。
理由は定かではないですが、平気で摂取していたことを理解したので脳が異質の臭気に対する警戒を解いたのでしょうかね? 味覚が時と共に変化した可能性もありますが、感じていた香りは記憶の中でも全く変わっていないので理解し納得することで克服できた例かなと思っています。

苦手克服の例 ④

イクラやウニ
昔から寿司には普通に乗っていたネタですが、そんなに美味いと思わなかったので率先して食べるものでもありませんでした。自分について言えば全く嫌いでもなかったのですが、どちらかといえばこれは母のほうが顕著だった例。イクラ嫌いだったのを知っていたのですが、学生時代に研究材料の余りが良質で美味かったので漬けて送ったことがありました。父が喜べばいいかなと思って送ったのですが、何故か母がこの機会を境にイクラ大好きになってしまいました。
イクラは味付けと皮の厚さの2つが大事かなと思っているのですが、どうも母には一般に販売されているものより、その時の微妙に強めのプチ感がストライクだったようで、今まで知っていたイクラじゃないものがある・・・というか、不味いと思ってしまった時のイクラがダメだっただけなんじゃないかと食べるようになった結果、次第に慣れてある程度許容範囲が広がってしまったようです。
これは最初のマイナス印象で固定観念が生まれてしまっていた例かなと思います。
ウニも卵巣だけ見ると素人にはウニの種類までわかりませんし、更に鮮度や保存料の有無まで加わるとピンキリの差は凄まじいものがあります。産地で良いものを食べたら大好きになってしまいましたが、だからこそ「ウニは美味い」なんて漠然としたことを言う人は信用できないか、最上級しか口にしないブルジョワか、ウニなら問答無用で美味いと思い込んで流されるプラセボか、判断に困ります。
イクラやウニに関わらず、肉・魚・野菜など動物も植物も生物である以上は条件によって味や食感が変わるものは多数ありますから、一度食べただけで「これは不味い」と判断して二度と食べないというのは有毒でもない限り勿体ないことも多いのです。「美味しい」は2度目に繋がるので機会損失には繋がらないでしょうが、「不味い」のレッテルを安易に貼ってしまうと損する可能性があるので冷静さがより必要かなと思います。
高級な食品に限って言えば不味いと感じて忌避してしまったほうが出費が少なくて幸せかもしれないという考えもありますが。豊かさとはなんなんでしょうね。

苦手克服の例 ⑤

牛タンやホルモン
どこまで知っているかという例かなと思います。
ホルモン、中でも大腸は知っての通り、言ってしまえば「うんこの通り道」です。牛のうんこってドプッって感じしてますよね。どれだけ丁寧な仕事を施してあるかでニオイなど食味は変わりますが、どんなに洗ったところでうんこが直接触れていたことには変わりなく、美味しいですね。
牛タンもホルモンも普通に食べて育ちましたが、牛舎で餌を食う牛を見て臭うよだれにまみれる舌を見て食欲が減退しました。鮮度のよい大ナメクジにも似た巨大な舌を丸ごと買って調理したことがある方はどのくらいいるでしょうか。パルの読者の皆さんなどは見慣れているかもしれませんが、これも実際やってみると複雑な気持ちになる人は絶対いるので是非買ってみてください。

舌 断面」でググると舌の構造や見た目も理解できるでしょう。ヒトは殆ど同じ器官を有しているので切り刻まれる舌のイメージがしやすいのではないかと思います。

牛のそれを皮剥いてスライスしてレアに焼いて食べてるのがタン塩です。美味しいですね。
このあたりは大変わかりやすい例だと思うのですが、ザックリどの部分かというのを知っていても、どこまで経験として知っているのかで認識が相当変わるんじゃないでしょうか。日本には知らぬが仏という諺がありますが、業務分担によりそんな仏紛いを増やしすぎたゆえにウナギが絶滅に向かっていたりする訳で、有限な資源を摂取する以上はやはり自分の食べているものくらい理解した上で「美味しい」「好きだ」と言いたいものです。
処理法と安全性の理解・美味しさの経験値・無駄にしない思想がまとまって初めて気持ちよく食べられるようになりましたが、バランスの崩れていた頃は牛タンもホルモンも気持ち悪かった。体が拒絶するものでない限り、食べられないのは各個人の意識の問題だと思います。苦手でこのまま食べられないくらいだったら、どうせなら経験してみることで足りないパーツを埋めてみるというのはいいんじゃないでしょうか。それでもダメなら仕方がない。
魚介類につく寄生虫の存在なんかもこれに近い考え方でいいんじゃないかと思いますよ。

自由なんですけどね

まぁ、どんなに言ったところで法に触れない限りは個人の自由なので食べるも食べないも人それぞれですが、社会にはエレガントに食べられたほうが好感を得られる場もあるし、好き嫌いないほうが大人に見られるケースもあるし、美味しそうに食べてるほうが周囲も幸せになることって結構あります。
ゆるキャンΔのなでしこなんか飯食ってるシーンはヘタなグルメ漫画よりめっちゃ可愛いよね。
出されたものに対して食べる食べないどちらにも対応できる準備があれば有利にこそなれ、損は何もないと思うんだよ。
だから一般的な食品であっても苦手があってなんとか克服したいと思っている人もいるのではないかと思うので、そういう人の一助にでもなればいいかなと。

あとこれは不思議なんですが陸上生物と水中生物で感覚が変わるという不思議現象が広く見られます。
例えばエビは日本人大好きですが、エビが庭や公園を歩いてる生物だったらおそらくここまで食品として一般化していない。イセエビが木にとまってたら引く人もいそうだ。逆にカブトムシくらいある昆虫が海中にいるものだったら人気の食べ物になっていた可能性がある。サワガニの唐揚げが美味しいと言う人が昆虫の唐揚げが無理というのはよくよく考えても意味がわからなかったのだが、ピンノに対する意見の傾向を見ていてやはり変だと感じずにはいられなくなった。そこには食べているものがどうだとか歩留まりがどうだとかそういった情報はあまり関係なく、もはや遺伝子に擦り込まれたものなんじゃないかとすら思える不思議な感覚があります。
実際のところ魚もエビシャコカニも死肉を食らう生物は多くの種がたくさん食用にされていて、食性だけ昆虫に照らしてみたら巨大シデムシを喜んで食べてるようなものでドン引きです。食性だけ考えたらよほど気持ちよく食べられるはずの昆虫が沢山いるんですよね。
結局のところ、食べて美味しいか否か、安全かどうかなんてのはヒトの意識とは無関係のところにあるものなので、理屈でわからないものを大いなる意思のように捉えて身を任せたくないんですよ。
見た目は判断基準として大切ですが、見た目だけを最優先に信じてると見えない要因で事故や詐欺にも遭いやすそうですし。

それより今は、単に「美味しいから食べる」「食べられない」というよりも、美味しくても資源管理面から食べるか否かを判断したいものが増えてきました。「売ってるから大丈夫」は全く通用しないくらい日本の資源管理はクソです。最近はウナギやマグロばかり目立ってますが、他にもたくさんありますよね。高級品ほど疑え。安い理由も考える。こんな文ばかりでも読んでくれた方々ならば、そういう段階まで進んでくれる方が少しでも増えたらいいなぁと思っています。
様々なものを食べられるようになれば負荷の低いものが選択できる。

その上で、安く、美味しいものが適度に得られたら幸せは後世にも広く残していけるんじゃないかなぁ。

苦手克服例はわかりやすい例を思い出したら追加することがあるかもしれません。
針山にダイブするような例は参考にならないので避けますが。

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Comments & Trackbacks

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  1. 自分は一人暮らしを初めてした時、非常に貧乏をして、本当に空腹になった事がきっかけでした。
    パセリやセロリなど癖の強い野菜は一切ダメだったのですが、お腹空いている時に少しでも味わおうと色々ゆっくり味わって食べる様になり、嫌いなものが無くなりました。

    昆虫食はイナゴの佃煮だけですが、機会があればやってみたいなと思います。

  2. いろんな食べ方をして自分に合えば旨い、合わねば不味い
    ただそれだけの簡単なことなんですがね…

    命を頂いてる意識が大切だと思います

  3. 読ませていただきました。
    私はあまり食に対して興味がないのでこのサイトのたどり着いたのですが、
    とっても良いことが書いてあり参考になりました。
    このことを踏まえてもう少し食に興味が持てるように努力します。
    素晴らしい記事ありがとうございます。

  4. 普段ついつい見落としていることを考えるきっかけになります。これからも楽しみにしています。

  5. 親の影響ってのはやはりデカイですねぇ。
    私も母が色々な食物を体験させてくれたので美味い不味い、鮮度による違い等、食う事自体に関してや各地域の関連文化に興味を持ちましたし。
    なるべく自分の子供達にも未体験の物は試させていますが、自分が子供の頃より余程抵抗無く大抵の物食べるので感心してしまいます。(今では自分でも不思議ですが、自分が子供の頃は白身魚以外の刺身はほぼ嫌いでしたしw)

    リアルやネット上で、せつなさんや多数の人bashir…んんっ!…先生方のおかげで自身の好奇心と食欲が刺激され、実体験するきっかけをひらいてもらっている事に感謝していますよ♪

  6. ゴキブリは食べたことありますか?色んな虫食を読ませていただいて、ふと思ったので。あったら記事見てみたいです!

  7. 今日も楽しく読ませていただきました。
    10月くらいから一度更新が止まり、…死んだか?!と心配してました。
    待っているあいだにここに入ってる全ての記事を読みました。
    リアルタイムで読めて幸せです。
    楽しいです。ありがとうございます。

  8. どんなに洗ったところでうんこが直接触れていたことには変わりなく、美味しいですね。
    目がすべったのかと思った。塩麹に短時間漬けて焼くのが好きです
     

  9. こんにちわ
    実家の料理でおからを煮たヤツが苦手で、お皿いっぱい山盛りで出されてえづきながら食べてたけど、後に市販のお弁当にちょこっと入ってたモノは普通に美味しかったから、あれは
    “本来は突き出し程度の量の料理を無理矢理オカズとして提供した母親のミス”
    だと思いました
    母の煮魚も醤油入れ過ぎて唇痛い程だったし、まぁあれは後で骨茶にする為の加減だったのかも、ですが
    家庭の料理って、美味しく食べる量や加減が色んな理由でぶっ壊れてる御家庭も結構あるのかな?って思いました

  10. はじめまして。

    祖母(97歳)は肉が嫌いな人なのですが、近年美味しい!と(良質なものに限る)食べるようになりました。

    こないだ、ボソッと「鼻が馬鹿になったからかな」と呟いていました…ママニハユウナヨ…

    私も加齢するごとに苦手な食品が減ってきましたが、己の劣化によって味覚が変わることもありそうですね(´・ω・`)

  11. 5年かけてホヤが食べられるようになった俺が通りますよ。
    だって、親父があんまりうまそうに食うもんだから、意地になったのです。
    5年目のあの、ウマ〜な衝撃は驚きでした。

    なんか、最近の人って味じゃなくて
    情報食ってる人が多すぎるよね(個人の感想です)。
    そういう人は大抵料理が下手(キッパリ

  12. >一度食べただけで「これは不味い」と判断して二度と食べないというのは有毒でもない限り勿体ないことも多いのです。
    つまりKGBもう一度トライする宣言?

  13. 中国の大陸最南端近くの海沿いの街に7年住んでいます。

    先日臭豆腐の出荷を早めるために肥溜めの上澄みに漬け込んでいる業者がいた、というニュースがあり、ふと旧ざざむしの臭豆腐記事で大笑いしたのを思い出し(すみませんw)ここにたどり着きました。

    私の実家は好き嫌い完全禁止で、残したらそれを食べきるまで延々同じものが出てくるシステムだったため、いつの間にか出された物は何でも食うようになっていました。

    おかげで海外住みでも日本食が恋しくなることもなければ、この辺の名物の沙虫(スジホシムシ)や龙虱(でかいゲンゴロウ?)なども美味しく食べられるので、親のスパルタに感謝です。

    今なら虐待とか言われそうですが(笑)

    ついでに記事違いですが、一つ前の「コウシャヤン(コウシャマン)」はこの辺で大薯と呼ばれていて、角切りにしてスープに入れたり、豆や寒天と一緒に甘く煮て冷やして食べるスイーツに入れたりします。

    妻(中国人)の親戚が作っているそうなので、今度もらったらトロロにしてみます。

  14. セミはわかるが、なぜその後に茹でジョロウグモやカエルヘッド、KGB、バッタ、青イソメ、ミミズ、となし崩し的に喰らうようになれたのがトンデモねぇっ

  15. 私は魚介類が苦手でしたが、このブログの読者になってから、食に対する積極性が増したのか、苦手な食べ物にも挑戦するようになりました。
    今では魚介類に対して積極性に口にしてから好き嫌いを判断するようにしています。
    嫌いという判断はなかなかありませんが。

    ただ、ウニは回転寿司のものは未だにやっぱり苦手ですね。北海道で食べたウニはとても美味しかったんですが。
    この差には鮮度や種類など、色々な要因があるので、究めるのは難しいのかもしれません。

    そう考えると、改めて食わず嫌いがいかに理不尽なものであるのかを実感します。

  16. 針山にダイブ

    ああ、マムシグサでしたっけ?

  17. おもしろいですね。セロリとかは、毒成分への耐性が低いことからくると思われる、子供の時の鋭敏な味覚嗅覚が危険信号を発してたのが原因でというケースかもと思いました。

  18. 前世は皇帝ペンギン

    初めてセロリ食べたのは小学生3,4年くらいの時で、外食でサラダに入っていたのがどうしても食べられませんでしたねー。あの香りがダメで、口にした瞬間食べ物なの?って思った記憶があります。
    でも17歳くらいか…自分で料理する様になると不思議と食べられました。

    セロリへの知識がついて、どんな風に使われるのか知ったから抵抗が減ったのか。それとも歳を取る事で色々な食べ物があると体と頭で知った事で全体的に食べ物への許容度がアップしたのか…?
    大人になると子供の時と比べて味蕾の数が大幅に減るそうですが、その辺りも関係しているのか…

    食わず嫌いという言葉がある通りなのか、一度食べられなかったモノでも何かしらのきっかけで食べられるようになるみたいですし、これはダメ!って諦めてしまうのは勿体無いって事でしょうかね。食べ物の種類が豊富な現代でわざわざ食わず嫌いを克服しなくても…という向きもありそうですが、デミグラスソースの類を作る時にセロリの香りがないと物足りなくなった自分に言わせれば、食わず嫌いは勿体無いよ!ってのが結論です。その食べ物が食文化としてある以上、何かしらの魅力があるはずなのだし。

  19. セロリはプロハンターの草刈正雄さん。大根と納豆は日本昔話がきっかけでしたが、双方ともに共通するタイミングとしては”異常な空腹時”だった気がします。
    後は、遊びながら採取を教えてくれた亡きオヤジのオカゲかな~w
    ちなみに好物だったブロッコリーを食べ過ぎてしまって、一時期見るのもイヤになった時期がありましたが、いつの間にかまた普通うに食えるようになってました。
    嫌いなものを食べることは難しそうですが、食べたこと無いものを美味しくいただけるようになったのは親子共に、せつなさんトコのおかげですねw

    針山にダイブするような例wむしろ楽しみにしてますw

  20. 親の教育のおかげもあってか、苦手なものはほぼ無いですが、どうも蝉を食べるのは抵抗があります。やはり一度食べてみて、食べられるものと認識する必要がありそうです。

  21. セミが浮いてて笑う

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